<自らを生かす 人生を創る>


聖弥さん



個性真理体、というものについては
私にとっても難しい題目で
これ!といった内容は浮かばないのですが、

天大さんがテキスト「人が神として生きる時」から
引用してくださった箇所

光の世界では、個性というものは、
遣らなくて良い事と是非遣ってみたい事そのいずれかになる
。」

こちらを受けて、少しまとまってきました(^^)

本来、この魂が人として生まれてきたとき、
それはきっと、「はい、先生(神様)!」と手を挙げて、
「私、地上で○○という役割をやりたいです☆」
といった感じだったんだろうな、と
いつも思っていました。

愛である自分が
すべてである自分という愛(ひとつ)を体験したい!という、
その「“元祖”自分の遣りたいこと」だけを選んで
この地上に生まれてきた
ということは、
私たちの魂とは、遣りたいこと100%、そのものなんでしょうね。

だから、生きているということは、
遣りたいことをやるチャンス(時間・空間)があるということで、
個性真理体として生きられるということは、
心と身体も魂とひとつとなって生きている、ということなんですね。


 
 <弘美>
聖弥さん、こんばんは♪

天大さんのお話をうけて
また更に、感じられたことを丁寧に表現してくださって
ありがとうございます☆彡

魂は、これがやりたいんだ!というように
決めてこの地上に生まれてきているといいますね。

ただ、その魂の願いと この地上での生き方が
なかなか合致しない場合も多かったのかもしれませんが

聖弥さんが書かれていたように 本来の生き方って
心も身体も魂もひとつになっている状態なのかもしれないですね(^^)

よく「思い出す」という言葉が遣われたりしますが
その奥深さをまた感じました。



とても感覚的な話で恐縮ですが、
時々、ああ魂とひとつだな、と感じることがあります。

それは、まったく何の疑いもなく
心から楽しいと感じられているときであり、
満たされているときです。

自らの意思でその状態を選んでいる(創造している)という
自覚もあります。

そういった状態のときは、何も求めませんし、
何もないのに自然と笑顔です


その独自性や専門というのは、必ずしも
世の中で区分されているような技能・技術的なものに限らず、
性格・性質的なものを含めて、もっともっと多種多様にあって、
自分でそれをしっかり分かるには
それなりに愛を体験する必要があるのだと思います。

けれども、今は命のみち(Way of Life)があって、
その道とともに歩んでいくことで
安心して、楽しく個性真理体が磨かれていくんだろうな、と
そんな気がしています。


自分が深いところから感謝と喜びを感じているような体験って
ありますね。

あぁ、これなんだな!というような。

それを、しっかりと味わっていくのも、
またその源に還っていく上で大切かなと改めて感じました(^^)

自分が本当に遣りたがっていることへ繋がる
ヒントにもなるような気がしました☆彡


本来の世界での 独自性や専門というのも
どういう感じなのでしょうね(^^)

ひとつの世界は一本の木でたとえられますが、
またその在り方の中で、自分が担当できる部分であったり
繋がり広げていける姿を イメージしてみたり。

まさに、Way of Life がそこにあるんだなと感じました。