<愛と人生について>
聖弥さん
弘美校長先生、皆さん、こんばんは。
新しいテーマでの授業、よろしくお願いします☆
弘美校長先生のご挨拶の冒頭に
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まだ残暑も厳しいですが、
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> 少しずつですが、秋を感じる瞬間も
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増えていくようなこの頃ですね。
とありまして、この中に“人生”を感じておりました。
季節の移ろい。
過ぎゆく夏と、もう足を踏み入れている秋。
それぞれの季節というのは愛だな、と
いつも感じています。
それは二つとしてない個性であり、
そこに遊ぶいのちを受け止め生かす時間と空間であり。
出会いを育む土壌であり。
人生もまた、それを生きるその人以外では
創ることのできない愛の季節(カレンダー)なのかな、と。
ちょっとキザな表現をしてしまいましたが(^^;
<弘美>
冒頭、何気なく季節の話を書いていましたが
「人生」と繋げて深めて表現してくださり
ありがとうございます(^^)
私達のいのちを受け止め生かす、出会いを育む土壌
まさに、そこに人が生きるということを考えさせられました。
これまでも刻んできて、
そして今、まさに刻んでいて、
また、これからも刻んでゆく、
その愛、という時と空間、このいのちを、
愛することが出来るかどうか。
それは癒し(赦し?)ということでもあるのだと思います。
全ての時に神がいなかったことはない。
それも愛だった、と。
今の私も愛である、と。
これからも愛であり続ける、と。
にっこり微笑むことが出来れば、
愛=人生=神になると思いました。
私自身は、自分の全ての人生を、
過去・現在・未来を
ひとつの愛として、神として笑えていないので、
そうなりたいな、という願いもあります。
私個人の話とすれば、
そういった思いの全てを超えて
ひとつである自分、全て、を表現し
共有できるものとして
芸術があると思っています。
ですので、先ずはそこから、
愛と私の人生をひとつにできる芸術を、
遣りたいと思います。
全ての時に神がいなかったことはない。
本当にそうですね。
人は時間空間の中で生きてきて
でも神の愛の中に生きてきたようなものだなと感じました。
今、人はそのことに気付いて、感謝と喜びの中
過去・現在・未来をもひとつにして、神と共に謳うことが、
全てをひとつに出来ることのようにも感じました(^^)
10月1日のイベント開催までも近いですけれども
またとても意識新たにという感じで
人生と芸術を思っています。
ありがとうございます(*^_^*)