<命が溢れる>


聖弥さん


 
 <弘美>

聖弥さん、みなさん、こんにちは☆彡
投稿ありがとうございます(^^)




 
 <聖弥さん>

弘美校長先生、皆さま、
今月の授業もどうぞ宜しくお願いします(^^)

テーマ 【命が溢れる】 について。

“命(いのち)”という言葉は
これまでに何度か授業でも取り上げられてきましたし、
以前、神様との対談で
神様が仰る命とは“神の願いを生きる者”であると
教えて頂きました。

私の中では、命=“神の願いを生きる者”という
方程式が出来てしまっているので(笑)
どうしてもそこに戻って考えてしまうのですが、
“命が溢れる”というのは、
神の願いを生きる者が溢れるように沢山現れてくる、
または、
神の願いそのものが鮮やかに顕れ溢れ出すようである様、

なのだと思いました。

それは、今年10月9日に予定している
イベント「夢 ひとつ」という舞台を実現すること。

そのイベントが序章としてあり、
ひとつの世界のひな形である
名古屋講演会」を実現すること。

つまり、源の目的を成す、ということなんだろうと思います。




 <弘美>

命とは、“神の願いを生きる者”であるというお話も
なるほど、そうだったなと思い出すことができました(^^)

そして、

> 神の願いを生きる者が溢れるように沢山現れてくる、
> または、
> 神の願いそのものが鮮やかに顕れ溢れ出すようである様、


どちらも、人を通して顕される、表現されていくものであり
そこに源の願いが形となれるのだと思いました。

イベント「夢 ひとつ」も、「名古屋講演会」も、
「命が溢れる」 ということが、
まさに具体的に表現されるということなのかもしれませんね(^^)




 <聖弥さん>

かつてのSPラジオで、
神様と天大さんが「命」について対談され、
そこで、神様は命について
世界を変えるような、そんな動きになっているということだね。
ある意味、とても大きな流れがきている。
そういった流れを総称して、命と話そうか。」
と仰っていました。

そういう大きな流れは、
神の願いを生きる者が創り出しているものだし、
世界がそういう命そのものとなっていくことなんだと
思います☆




 <弘美>

SPラジオの対談「いのち」からのご紹介、ありがとうございます!

先駆けとして、神の願いを生きる者が動き出し
表現し始めている今ですが、

それは、「流れ」を生みだし、
命そのものを体験していくことになるのかもしれないですね。

命は繋がっていて、そしてひとつである。


ご紹介くださった対談から

愛という方向、或いは、世界がひとつになっていくという営みのようなもの
それは、命がなくては創っていくことが出来ない

でも、命が大切にされていない、そういう時が続いてきた。

今世界がひとつになろうとして、本当の命というその意味が、
だんだん、表に出てきている
んじゃないかな。】


ただ、それぞれの目的を見て、個別に生きるという“命”ではなくて

世界がひとつになろうとして、
“本来の命という意味が、表に出てきている”というのは、
とても深いなと思いました。




 <聖弥さん>

また、その対談で心に響いた遣り取りがあります。

****
天大さん: 命って言っても、大きな意味なんですけど
        生まれながらにそういう世界に生まれてきた
        という風に思えればいいということですね?

神様:    そうそう、そうだね。
        うん、確かにそうなんだな。
        あなたが生まれてくる時、よく光とかいうだろう?

天大さん:  はいはい。

神様:     その光というものを確実に感じることができれば、
         まぁ、神(源)の力とかでね遣っているがね、
         それを多くの人が感じれば、
         命が輝くし、宇宙の事をより深く分かるよね。

         でも、それが遣れてないんだなぁ、何故か。
          もっともっと、もっともっと、自然を見てほしいね。
          そして、愛というものを考えてほしいね。

         愛ならばどうなのか。
         愛だからここにこうして在るんじゃないのか。

         どうしてここにあるのかっていう、そういうことを考えた時に
         愛だからなんだ、ということを分かってほしいね。

         疑ってほしいんだね。
         いや、愛を疑うんじゃないよ。
         そうだな、本当にそういう理論なのか、というものを疑いなさい。

         そうすれば愛だけが残る。

  ☆2008年5月11日放送 SPラジオ
  “神語録をかみくだく☆のコーナー〜神語録C「いのち」”より
   http://homepage3.nifty.com/allone/radio/080511.htm

****


全て愛であるがゆえに
愛を疑っても何も解決しないのだけれど、
ほんとうにそれは「愛だからなのか」という理論を疑って、
それでも愛だけが残るのだということ。

それが真実だと思いますし、
私たちはそれを自らの人生として証していく「命」であると
感じています。

疑うことも愛であり、
それを通してさらに愛を分かり愛してゆける
この命(宇宙)の奥深さを感じると、
自然とそこに委ねてゆくことも出来るのだろうと、
深く大きく温かな楽しさとなるのだろうと、
漠然とではありますが考えているところです。




 <弘美>

> 疑うことも愛であり、
> それを通してさらに愛を分かり愛してゆける


源を生きる者としての歩みの素晴らしさ、大きさを
感じました。

全ては愛である
そこに還っていくわけですが、

本当に、そのことが自らよく分かって、体験して、笑える
その姿は、とても命輝くものなのでしょうね☆