<夢を生きる>
天大さん
<聖弥先生>
天大さん、雄大で逞しいうたをありがとうございます☆
ひとつの源、
ひとつという愛(せかい)を知っている。
自らをそのものとして目的を生きるということ。
音楽で例えるならシンフォニーのような響きです(^^)
<天大さん>
【 夢を生きる 】
世界がひとつであるという未来があり、
世界はもともとひとつであったという真実があり、
私たちは同じ源から始まった同じ愛ですね。
そういう夢(あい)をいつも胸に
あるいは思い出しながら生きていこうと思います。
愛(ひとつ)という源があり
ひとつの世界という目的(夢)がある。
それを生きようと思います。
どういう風にやるかは私は何でもいいですね。
上記を忘れず自らを源としてやりたい様にやる、
あるいはその時々の役割をやっていく。
自分のやりたいこと、個性が
みんなの中で
あるいは自分の中で
ひとつ(愛)になっているように
夢(あい)を生きたいと思います。
したいというのもあるけれど
既にそうしてるんだということを分かり表現したいですね。
<聖弥先生>
ほんとうに、既にそうしているんですね。
このみちを選んだときから。
もしかすると最初はそう思えなかったかもしれない。
いや、どちらかというと、最初から
「自分は常に源として、ひとつの役割をやっている」
と思えるほうが稀有かもしれないですね(^^:
でも「そうだ、そうなんだ!」と分かれる、
そういう体験、そういう理解、認識というのが
このみちを歩み
柔らかな愛というベールを
幾重にも重ねていく中で
どんどんと確かなものになってゆく。
それと同じだけの喜びが還ってくる。
それはきっと、神という全ての源もともに感じている
本来の喜びを担っているのだと思います。
本来の命ゆえに生きる
こういう循環というのも
芸術(ゆめ)だなと感じられますね。
天大さんのこれからのたくさんの輝きも
楽しみです♪
<天大さん>
>愛(ひとつ)という源があり
ひとつの世界という目的(夢)がある。
自分でこれを投稿した後で思ったことなのですが、
「目的」というのは「夢」なのだなということです。
<聖弥先生>
天大さん、さらに深められての発言
ありがとうございます(^^)
私も本日のSPラジオを聞きながら
改めてそうだなあと思っていたところです☆
<天大さん>
ソースパーパス、SPは「源の目的」のことですが、
目的というのがわかりにくいかもしれないなと思っていました。
「みんなの夢」とでも言い換えると少しわかり易いですね。
でも「夢」だと少しふわふわしてる感じもあり、
「目的」の方が明確な意識をもって、
しっかりとやるということが表現されているなと思います。
目的とは夢である。
儚(はかな)い幻ではなく、
本当に実現する「未来」に向かってゆくということなのですね。
<聖弥先生>
そうですね!
目的、だけでも、夢、だけでも
今の世の中では十分に伝わりきらなくて。
そのどちらもひとつで
本来を伝えられる(表せる)のですね(^^)
そして、そうなって初めて
その夢(目的)が実現可能なものとして
ひとりひとりが向かえるようになる。
実現に向けた動き、行動、
それこそが“今”であり“未来(ゆめ)”なのだな、と。
そういう本来の夢というのが見えてきた気がしました☆