<誰でもわかるような本来の夢(あい)とは>
天大さん
<聖弥先生>
天大さん、こんばんは(^^)
投稿ありがとうございます☆
<天大さん>
このテーマを頂いて夢とは何だろうと考えました。
<聖弥先生>
なるほど、「夢」そのものから考えられたのですね。
<天大さん>
具体的な事や未来の事、
子供が将来に抱くような夢(○○になりたいなど)をまず思い浮かべました。
<聖弥先生>
私もやはりそのようなことが直ぐに浮かびました。
<天大さん>
でもそれよりは
夢というのは「本来の愛を体験すること」そのものなのだなと思いました。
<聖弥先生>
素晴らしいですね(^-^)
「本来の愛を体験すること」
それは生まれてきた意味であり
源の目的に繋がるものですね。
そう考えると、本来の夢というのは
本来の命でもあるようです。
<天大さん>
本来の愛、本当の愛を100%体験する事を目的に私たちが生まれてきました。
すべてはそのために存在しているはずです。
でも実際は10%も体験できていないかもしれません。
愛や幸せを感じられないという心の障壁、社会の障壁があって
身動きがとれないような、どうすることもできない無力さ(壁)をつくっています。
<聖弥先生>
そうですね。
私自身の中にその壁を感じることがあります。
自分の経験から言うと、
そのような時というのは大概
独りよがりになってしまっていて、
愛や幸せを感じられないだけでなく、
それが自分以外の何かのせい、誰かのせいだと
思っています。
自分が生きているこの世界は
自分が創造しているものであることを忘れてしまって
本来は愛というひとつの源で繋がっている自らを「源」としていない、
つまり“本来”を否定してしまっているために
ギャップ(障壁)を感じるのですね。
<天大さん>
もし壁がなくて
すべてが愛で
どこまでも行けるような自由を感じられるなら
すべてを愛として生きてゆけるでしょう。
その中で具体的な夢も実現可能なものとして描けると思います。
本来の愛とは誰もが望むような事で
でもどこかに壁をつくって
どうせそこから先は無理だ、不可能だと諦めているようなことだと思います。
<聖弥先生>
とてもシンプルに深いところを突いたお話ですね(^^)
逆説的ではありますが、
普段、自分が「無理」「駄目だ」と諦めてしまっていること、
それこそが自分が心から求めている愛(ひとつ)である。
このように見ていくと、
それまで欠点、弱点だと思って愛せなかった(否定していた)
自分の一部というのは
実は本来の夢に繋がるチャンスとしてあった
素晴らしいものとなって、
大元である神に感謝できるようになると思いました。
誰もが壁にぶちあたることがありますが、
ひとつの世界というのは
それも愛として受け入れ
具体的な未来(夢)の創造につなげて行けるのですね。
とても勉強になりました。
ありがとうございます(^^)